山本智之の「海の生きもの便り」

2021年6月 Writer: Tomoyuki Yamamoto

第3話 「死滅回遊魚」が生き延びる?

相模湾・駿河湾海域で越冬が確認された熱帯性魚類たち

相模湾・駿河湾海域で越冬が確認された熱帯性魚類たち=山本智之撮影

■東伊豆で「クロオビエビス」に遭遇

 ダイビングを長く続けていると、ときに「レアもの」の生物と出会うことがあります。昨年の3月上旬。その日は伊豆海洋公園で潜っていました。1本目の潜水を終えて陸に上がったところ、地元のダイビングショップの方が何やら興奮気味に、私たちに話しかけてきました。深さ6mほどの海底に、「変わった魚」がいるというのです。せっかくなので、2本目の潜水のときに岸近くの海底を探してみたところ、岩陰にその魚はいました。
赤と白、黒色のくっきりとしたストライプ模様。ひれは鮮やかなレモン色で、一部が赤く縁取られています。全長は10センチ余り。そのときは何の魚だか分からず、とりあえず多めにシャッターを切っておきました。
「私も初めて見る魚です」と現地で30年以上もダイビングガイドを務めている横田雅臣さん。そこで、神奈川県立生命の星・地球博物館の主任学芸員、瀬能宏さんに同定を依頼しました。
サンゴ礁に生息する「クロオビエビス」という魚で、越冬した個体が伊豆半島で報告されたのは、おそらく初めてといいます。やはり、期待通りの「レアもの」だったのです。

伊豆半島東部のクロオビエビス

伊豆海洋公園に現れたクロオビエビス=山本智之撮影

■「魚類写真資料データベース」に登録へ

 私は、撮影年月日や水深などのデータとともに、クロオビエビスのデジカメ画像を瀬能さんにメールで送信しました。「魚類写真資料データベース」に登録して役立ててもらうためです。
このデータベースは瀬能さんが1995年に構築を始めました。全国のダイバーが撮りためている水中写真を魚類研究に活用しようという取り組みです。釣り人から提供された画像や魚の標本写真も加え、計15万120点(2021年3月現在)がネット上で閲覧できるようになりました。
魚類写真資料データベースの膨大な記録の中には、片道切符の旅をする「死滅回遊魚」の写真も数多く含まれています。

魚類写真資料データベースに登録されたイワアナコケギンポ

魚類写真資料データベースの検索結果の画面。写真は筆者が伊豆半島で撮影し、2000年に登録した「イワアナコケギンポ」

 死滅回遊魚とは、海流によって本来の生息域でない場所に運ばれ、その環境に適応できずに死んでゆく魚たちです。
伊豆半島や房総半島などでは、黒潮に運ばれてきた熱帯性魚類の稚魚たちが姿を現します。しかし、冬場の水温の低下には耐えられず、年を越すとそのほとんどが死滅し、姿を消してしまいます。
「魚類写真資料データベース」によると、伊豆半島沿岸を含む駿河湾と相模湾の沿岸でダイビング中に観察された1358種の魚のうち、死滅回遊魚は約500種にのぼります。
ところが近年、本来なら冬に死んでしまうはずの熱帯性魚類たちが、本州の海で「越冬」して生き延びる現象が多発していることが、データベースの分析で分かりました。
瀬能さんが、過去20年間分のデータベース情報を解析したところ、伊豆半島と伊豆大島を含む相模湾・駿河湾海域で23科59種の熱帯性魚類が、越冬したことが確認されたのです。

■「レアもの」の魚、手放しでは喜べない?

 私が伊豆の海で遭遇したクロオビエビスのように、ここ2~3年にみられた熱帯性魚類の越冬現象には、黒潮の大蛇行も大きく関わっていると考えられます。黒潮が大蛇行すると、伊豆半島には暖かい海水が届きやすくなるからです。
しかし、長期的にみると、将来は地球温暖化の進行に伴って、こうした熱帯魚の越冬現象がさらに増加する可能性があると瀬能さんはみています。
いまは私を含めて多くのダイバーが、色とりどりの美しい姿をした「南からの珍客」を見つけては、喜んで水中カメラのシャッターを切っています。しかし、温暖化で海の生態系そのものが変わっていってしまうことを考えると、なんだか手放しでは喜べない気もしてきます。

 瀬能さんのこうした研究成果がまとまったのも、大勢のダイバーが写真を提供してくれたおかげです。ダイバーのみなさん。機会があったら、データベースに写真を提供してみてはいかがでしょうか? 登録する魚は、「珍魚」である必要はありません。よく見かける「普通の魚」も含めて、いつ、どこで、どんな種類の魚が出現したのかというデータの蓄積が、科学研究に役立つのです。また、潜水中に出会った魚の種類が分からないとき、データベースはオンラインの魚類図鑑としてだれでも閲覧することができますので、ぜひのぞいてみてください。
▶︎魚類写真資料データベースはこちら
2020年10月からは、最新データが検索できる「神奈川県立生命の星・地球博物館の検索サイト」も公開されています。

■筆者プロフィール

山本智之さん

山本智之(やまもと・ともゆき)
1966年生まれ。科学ジャーナリスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。1992年朝日新聞社入社。
環境省担当、宇宙、ロボット工学、医療などの取材分野を経験。
1999年に水産庁の漁業調査船に乗り組み、南極海で潜水取材を実施。
2007年には南米ガラパゴス諸島のルポを行うなど「海洋」をテーマに取材を続けている。
朝日新聞東京本社科学医療部記者、同大阪本社科学医療部次長などを経て2020年から朝日学生新聞社編集委員。
最新刊は『温暖化で日本の海に何が起こるのか』(講談社ブルーバックス)。ツイッターも発信中。