
2025年6月 Writer: Tomoyuki Yamamoto
第52話 カイメンとは何者か?

アミメカイメン科の1種(Niphatidae sp.)=山本智之撮影
■神経も筋肉もない「動物」
海中の岩などにくっついている「カイメン」は、ダイバーにとってはおなじみの生物です。正式には「海綿(かいめん)動物」といいます。原始的な多細胞動物の一つで、神経や筋肉、内臓もありません。
化石の記録から、カイメンは今から5億2000万年前にはすでに生息していたことが分かっており、地球上に登場したのは7億~8億年前ではないかと考えられています。
■世界の海に9700種以上
ほとんどのカイメンは海で暮らしており、波打ち際から水深8840mの深海底まで幅広い環境に適応しています。そして、一部ですが淡水で暮らす種もいます。
カイメンの分類が専門の伊勢優史博士によると、日本では約650種のカイメンが知られており、このうち27種は淡水産です。世界全体の種数は、9740種(2025年4月末現在)にのぼります。

オオパンカイメン(Spirastrella insignis)=山本智之撮影
■多彩な色や形、樹木のような姿も
生物の分類で「海綿動物門」は、①「尋常海綿綱」 ②「六放海綿綱」 ③「石灰海綿綱」 ④「同骨海綿綱」という4つのグループに分けられます。このうち最も種数が多いのは、尋常海綿綱です。
海に潜ってカイメンの撮影をしていると、様々な色や形のものがあって飽きることがありません。たとえば、「ジュズエダカリナ」(Callysongia lindgreni)や「ツノマタカイメン」(Raspailia hirsuta)は、体が枝分かれして、まるで樹木のようです。

樹木のように枝分かれした「ジュズエダカリナ」(左)と「ツノマタカイメン」(右)=いずれも山本智之撮影
このほかにも、壺のような形をしたものや、サボテンのようにとげだらけのもの、筒状に伸びるものなどもいて、実に多彩です。

様々な色や形のカイメン。左上から順に、「プラコスポンギア属の1種」(Placospongia sp.)、「ダーウィネラ科の1種」(Darwinellidae sp.)、「ミカーレ・ヌラロゼッテ」(Mycale nullarosette)、「カワナシカイメン属の1種」(Haliclona sp.)、「センコウカイメン属の1種」(Cliona sp.)、「ワタトリカイメン」(Callyspongia sp.)、「トゲカイメン属の1種」(Acanthlla sp.)、「ナミイソカイメン」(Halichondria panicea)、「ヤワクダカイメン」(Haliclona sp.)=いずれも山本智之撮影
■海水を濾過し、きれいにしてくれる
一般にカイメンは、海水中に含まれる有機物を食べて暮らしています。体の表面には「入水孔(にゅうすいこう)」という小さな穴がたくさんあります。この穴から海水を吸い込み、エサとなる有機物を濾過したり、呼吸のための酸素を取り込んだりしています。
こうしてカイメンの体の中に取り込まれた海水は、「出水孔(しゅっすいこう)」という大きめの穴から体外へと排出されます。つまり、カイメンは、海の水を濾過してきれいにしてくれる生物なのです。
■「鞭毛」の動きで水流を発生させる
まるで機械のポンプのように、海水を吸い込み、排出し続けるカイメン。なぜ、そんなことができるのでしょうか。そのカギとなるのが、カイメンの体に備わっている「襟(えり)細胞」という特殊な細胞です。
カイメンの体には、無数の襟細胞があります。1個の襟細胞の大きさは20μm(マイクロメートル)前後。この細胞には1本の「鞭毛(べんもう)」があります。まるで鞭(むち)を打ち振るように鞭毛を動かすことで、水流を作り出しているのです。カイメンの体内にある水の流路は、「水溝系(すいこうけい)」と呼ばれています。
■幼生時代は海中を浮遊する
海底の岩にへばりついているカイメン。その姿を見ても、「動物らしさ」はほとんど感じられません。ところが、生まれたばかりの「幼生」のときは、海中を泳ぎ回る動物らしい姿がみられます。カイメンの幼生たちは、体の表面にある細かい「繊毛(せんもう)」を動かして泳ぐのです。そして、幼生は岩などに付着し、そこで成長して成体になります。

ミカーレカイメン属の1種の幼生。大きさは約1mm=伊勢優史博士提供
カイメンの多くは、オスとメスを兼ね備えた「雌雄同体(しゆうどうたい)」です。繁殖の方法としては、海水中に放卵・放精して「体外受精」によって子孫を残すタイプのものと、ほかの個体の精子を吸い込んで「体内受精」をするタイプの2つに大別されます。
■深海に暮らす「肉食系」も!
多くのカイメンは、海水中の有機物を濾過して暮らす「平和な生き方」をしています。しかし、中には変わり者もいて、肉食性のタイプが知られています。
伊勢さんが2010年に新種として論文を発表したシンカイハナビ属の1種の「ナツシマナハビ」(Abyssocladia natsushimae)も、肉食性のカイメンです。地面からヒョロヒョロと打ち上がった花火が炸裂したような、奇妙な姿をしています。

深海に生息する肉食性カイメン「ナツシマハナビ」=伊勢優史博士提供
ナツシマハナビの高さは、約9cm。伊豆・小笠原弧の「明神海丘(みょうじんかいきゅう)」で、水深862mから採集されました。このカイメンは、カイアシ類などの動物プランクトンを食べて生きていると考えられています。
■カイメンが海底を歩く?
「変わり者のカイメン」としては、「歩くカイメン」も知られています。ボールのような形の「タマカイメン類」です。
タマカイメン類は、体から四方八方に向けて突起を伸ばし、それを足がかりにして、きわめてゆっくりですが移動することができます。「カイメンは同じ場所からずっと動かない」というカイメン界の‘常識’を覆す存在といえます。
■2万3000歳のカイメンがいる?
カイメンの中には、とてもつなく長生きをするものもいます。たとえば、カリブ海のキュラソー島で見つかった直径が2.5mを超すミズガメカイメン属の1種(Xestospongia muta)の年齢は、2300歳と推定されています。

日本近海に分布するミズガメカイメン(Xestospongia testudinaria)も大型で、高さ1m以上に達する=山本智之撮影
そして、上には上がいます。南極圏のロス海の水深約50mで見つかった白い色をした巨大な壺のような形のカイメンです。「Anoxycalyx joubini」という種類で、高さが2mほどもあり、その年齢は1万5000歳から2万3000歳と推定されています。つまり、既知の動物の中で最も長寿な生き物は、カイメンなのです。
■台所のスポンジは「代用品」
「スポンジ」という言葉を聞いて、多くの人がまず思い浮かべるのは、台所で食器を洗うときに使うスポンジではないでしょうか。しかし、英語のスポンジ(sponge)は、もともとカイメンをさす言葉です。私たちが日々使っているポリウレタンなどの原料でできたスポンジは、カイメンに似せて人工的に作られた、いわば代用品といえます。
本家のスポンジ=カイメンは、現代においても、入浴の際に体を洗うなどの用途で人気があり、国内外で市販されています。

体を洗うのに使われる「本物」のスポンジ=山本智之撮影
そしていま、カイメンの新たな用途として注目されているのが、「医薬品の開発」です。カイメンの体内には、さまざまな未知の「新規有用物質」が存在することが分かり、研究が進められているのです。
■新たな医薬品を産む物質の宝庫
その代表例が、クロイソカイメン(Halichondria okadai )です。潮間帯の岩の上にカーペット状に広がる黒くて地味なカイメンです。神奈川県の三浦半島で採取され、実際に医薬品の開発に役立ちました。

クロイソカイメン=山本智之撮影
日本の研究者が、クロイソカイメンから「ハリコンドリンB」という物質を見つけました。この物質の化学構造をもとに合成した薬が、乳がんの治療薬として実用化しました。「ハラヴェン」という商品名の抗がん剤です。
製品化したのは製薬大手のエーザイで、米国で2010年に乳がんの治療薬として承認されました。日本でも2011年に承認されるなど、世界各国で治療に役立てられています。
■海底洞窟から新種を発見
新種のカイメンが近年、次々と見つかっている場所があります。それは、沖縄県などに多い「海底洞窟」です。経験を積んだダイバーでも簡単に入ることができない危険な場所も多く、これまであまり調査が進んでいませんでした。
伊勢さんは、海洋生物学者で沖縄県立芸術大学教授の藤田喜久さんらとともに海底洞窟の調査に取り組んできました。その成果として、2023年5月に「クラヤミモミジマトイ」(Sollasipelta subterranea)、2025年1月には「ギナマキセルカイメン」(Rhabderemia ginamaensis)という新種のカイメンを、それぞれ論文に発表しています。まだ論文にしていない「未知のカイメン」の標本も50種類以上あるといい、今後の発表が楽しみです。
人が立ち入ることが難しい海底洞窟は、新種のカイメンの宝庫であり、未知の有用物質の宝庫でもあるといえるでしょう。

沖縄本島北部での潜水調査で海底洞窟の入り口に向かう研究者たち(左)、海底洞窟から発見された新種のカイメン類「クラヤミモミジマトイ」(右上)と「ギナマキセルカイメン」(右下)=いずれも伊勢優史博士提供
■「カイメン図鑑」を作りたい
伊勢さんは現在、カイメンの分類を専門に行っている日本で唯一の研究者です。子ども時代に10年ほどをすごした三重県の南伊勢町で、夏になると水中メガネをつけて海の生きものを観察するのに夢中だったという伊勢さん。それがきっかけで、海洋生物に興味を持つようになったといいます。

伊勢優史博士。左下は船上、右は海中での調査の様子=いずれも本人提供
京都大学農学部に進学して魚を研究。東京大学大学院理学系研究科の修士課程1年のとき、当時の指導教官に勧められてカイメンの研究を始めました。「まだ分かっていないことが多すぎるところが、カイメン研究の魅力。調査で海に潜るたびに発見がある」という伊勢さん。「さらに研究を進め、誰もが参考にできるようなカイメンの図鑑を作りたい」と話しています。
■筆者プロフィール

山本智之(やまもと・ともゆき)
1966年生まれ。科学ジャーナリスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。1992年朝日新聞社入社。環境省担当、宇宙、ロボット工学、医療などの取材分野を経験。水産庁の漁業調査船「開洋丸」に乗船し、南極海で潜水取材を実施。南米ガラパゴス諸島のルポを行うなど「海洋」をテーマに取材を続けている。2025年2月には、海上保安庁の巡視船「そうや」の海洋観測に同行した。朝日新聞科学医療部次長、朝日学生新聞社編集委員などを歴任。著書に『温暖化で日本の海に何が起こるのか』(講談社ブルーバックス)、『ふしぎ?なるほど!海の生き物図鑑』(海文堂)ほか。X(ツイッター)は@yamamoto92。