2023年7月 Writer: Tomoyuki Yamamoto
第29話 ノコギリガザミ ~危険なハサミの秘密
■乾電池をつぶす怪力の持ち主
食用になる南方系のカニの中でも、とりわけ味が良いことで有名なのがノコギリガザミ類です。ワタリガニ科に属し、甲羅の縁がノコギリの歯のようにギザギザしているのが特徴です。マングローブ地帯に多く生息することから「マングローブクラブ」とも呼ばれます。ボイルした身肉には、強い甘みと濃厚な旨みがあり、とろけるような美味しさです。
日本には、「アミメノコギリガザミ」(Scylla serrata)、「トゲノコギリガザミ」(Scylla paramamosain)、「アカテノコギリガザミ」(Scylla olivacea)の3種が生息しています。このうちトゲノコギリガザミは、比較的高緯度の海域にまで分布し、静岡県の浜名湖では「どうまんがに」、高知県では「えがに」という地方名で親しまれています。
アミメノコギリガザミは、すべての脚に独特の網目模様があるのが特徴で、沖縄の市場でよく見かけます。鮮魚店の店頭には生きた個体が並びますが、その際には、ハサミの部分をテープで巻いたり、ひもで縛ったりしています。というのも、このカニのハサミは非常に強力で、危険だからです。
大きなハサミには、乾電池を潰してしまうほどのパワーがあります。沖縄では過去に、手を挟まれて指先を失った人もいます。万が一、挟まれてしまったら大変なのです。
■ツルツルなのに凸凹
物質・材料研究機構の井上忠信・グループ長は2022年5月、沖縄の鮮魚店で大きなハサミをもつアミメノコギリガザミを見て、興味を持ちました。そして、「なぜ体の表面がきれいで、こんなにツルツルしているのか?」「なぜハサミの先端だけ、白っぽい色なのか?」と疑問を感じました。体重1.5~2キログラムの3匹を購入。茨城県つくば市の研究施設に持ち帰って、体のつくりを詳しく調べてみることにしました。
井上さんは金属などの材料研究の専門家です。ですから、研究施設には、物質・材料の構造や強度などを調べるための様々な機器があるのです。
さっそく、アミメノコギリガザミのツルツルした甲羅の表面を、顕微鏡で拡大して観察してみました。それが下の写真です。なんと、ツルツルのはずの甲羅は、極めて小さなイボがびっしり並んだ凸凹だらけの構造だったのです。
「レーザー顕微鏡」という装置を使って分析をしたところ、甲羅の表面をびっしりと覆うイボは、直径が約90~146マイクロメートル、高さが5~23マイクロメートル(マイクロは100万分の1)であることが分かりました。
「驚きました。微細な凹凸があることで、外部から加わった力をうまく分散したり、付着生物がつきにくくなったりしている可能性があります」と井上さん。さらに、巨大なハサミの秘密に迫るために研究を続けました。
■ハサミの先端だけ色が違うのは・・・
アミメノコギリガザミのハサミには、褐色の部分と、先端の白っぽい部分とがあります。このうち褐色の部分は、甲羅と同様に、表面に微細な凹凸がありました。ところが、先端の白っぽい部分は表面に凹凸がないことが分かりました。
分析の結果、アミメノコギリガザミのハサミの白っぽい部分の硬さは、鋼鉄に匹敵することが確認されました。
その構造は、下図のようになっています。
表層はカルシウムの濃度が高くて硬い「外クチクラ」で覆われており、その内側には、軟らかい「内クチクラ」の層があります。それぞれの層は、組織がらせん状にねじれて積み重なっています。
「外から力が加わったときに、らせん状の構造があると、力をうまく分散し、壊れにくくなります」と井上さん。つまり、単に硬く丈夫なだけでなく、壊れにくい構造でもあることが、明らかになりました。
アミメノコギリガザミは、ハサミの硬い部分を打ち鳴らして大きな音を立て、敵を威嚇します。また、ほかの甲殻類の体に硬いハサミを突き刺して攻撃します。一方、体の中でも弱い部分である口やその周囲は、硬いハサミで覆うことで防御しています。このように、「鋼鉄のハサミ」は攻撃と防御の両方に役立っています。
■ハサミの全体ではヤシガニを超す硬さ
力を加えて硬さを調べる「ナノインデンテーション試験」という方法で分析したところ、ハサミの白っぽい部分の硬さは、2.5ギガパスカルでした。井上さんが以前に研究したヤシガニ(Birgus latro)の場合は、ハサミのうち特に硬い部分は3.5ギガパスカルだったので、それより下回ります。
しかし、ハサミ全体の硬さの平均値でみると、アミメノコギリガザミは1.5ギガパスカルで、ヤシガニの1.025ギガパスカルをしのぐ強靱さがあることが分かりました。
1.5ギガパスカルの硬さは「1平方センチメートルに15.3トンもの力を加えても耐えられる」という、すさまじい数値です。
■工業製品に応用できる?
硬くて丈夫なアミメノコギリガザミのハサミ。その構造に学ぶことで、将来は工業製品作りに役立つ可能性があるといいます。
「強くて、かつ壊れにくい強靱な材料の開発は、私たち研究者にとって永遠の課題なんです」と井上さん。たとえば電気自動車は、大容量で重いリチウムイオン電池を搭載しなければならないため、車体や部品の軽量化が課題になっているそうです。アミメノコギリガザミの研究で得られた成果は将来、軽くて丈夫な自動車部品を開発する上で重要なヒントになるかもしれません。
■筆者プロフィール
山本智之(やまもと・ともゆき)
1966年生まれ。科学ジャーナリスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。1992年朝日新聞社入社。環境省担当、宇宙、ロボット工学、医療などの取材分野を経験。1999年に水産庁の漁業調査船に乗り組み、南極海で潜水取材を実施。2007年には南米ガラパゴス諸島のルポを行うなど「海洋」をテーマに取材を続けている。朝日新聞東京本社科学医療部記者、同大阪本社科学医療部次長、朝日学生新聞社編集委員などを歴任。最新刊は『温暖化で日本の海に何が起こるのか』(講談社ブルーバックス)。ツイッターも発信中。