山本智之の「海の生きもの便り」

2023年2月 Writer: Tomoyuki Yamamoto

第24話 ホカケハナダイの大量出現

ホカケハナダイ=伊豆半島・大瀬崎の水深20mで、山本智之撮影

ホカケハナダイ=伊豆半島・大瀬崎の水深20mで、山本智之撮影

 静岡県・伊豆半島の大瀬崎に今シーズン、「ホカケハナダイ」(Rabaulichthys suzukii)という魚が大量に姿を現し、話題になっています。
 オスの背びれは大きくてよく目立ち、和名の通り「帆掛け船」のようです。オスたちは、潮の流れに向かって泳ぎながら、この大きな背びれをズバッと広げます。その様子が、とてもカッコイイのです。

背びれを大きく広げるホカケハナダイのオスたち=山本智之撮影

背びれを大きく広げるホカケハナダイのオスたち=山本智之撮影

■現地ガイドも驚く「圧倒的な多さ」

 ホカケハナダイは水深45メートルまでの岩礁域にみられ、伊豆半島では富戸や土肥、宇久須などの海域でも報告があります。
 大瀬崎では近年、主に秋から冬のシーズンにちらほらと見られる程度でした。しかし、私が現地を訪ねた2022年12月下旬、大瀬崎の先端ポイントでは、水深20mのところにオス・メスあわせて数十尾の群れがみられました。
 オスの中には、繁殖期に特有な紅白の婚姻色がくっきりと現れている個体も多くいました。オスがほかのオスを追い払う活発な遊泳行動も間近で観察することができ、「大瀬崎の先端ポイント全体では数百尾にのぼるのではないか」と話すダイバーもいました。
 現地で長年ガイドを続けるはまゆうマリンサービス店長の相原岳弘さんは「今年は圧倒的に数が多い。一体どこからやって来たのか不思議だ」と話します。

■ハナダイ亜科の一種

 ホカケハナダイは、ハタ科の中でも「ハナダイ亜科」と呼ばれるグループに属する魚です。
 大瀬崎の先端は、キンギョハナダイ(Pseudanthias squamipinnis)やナガハナダイ(Pseudanthias elongatus)、サクラダイ(Sacura margaritacea)など、様々な種類のハナダイ亜科の魚たちを一度に見ることのできる貴重な場所です。潮通しが非常に良いためエサのプランクトンが集まりやすいことや、隠れ家となる岩場があることが、その理由と考えられています。

大瀬崎の先端でみられる多様なハナダイ亜科魚類の一部。左上から時計回りにナガハナダイ、カシワハナダイ、サクラダイ、キンギョハナダイ=いずれも山本智之撮影

大瀬崎の先端でみられる多様なハナダイ亜科魚類の一部。左上から時計回りにナガハナダイ、カシワハナダイ、サクラダイ、キンギョハナダイ=いずれも山本智之撮影

 今回観察したホカケハナダイたちは、同一種だけで群れを作るのではなく、キンギョハナダイやカシワハナダイ(Pseudanthias cooperi)といった他のハナダイ亜科魚類と入り交じって泳いでいました。
 ハナダイ亜科魚類は、メスからオスへと性転換することが知られており、これを「雌性先熟(しせいせんじゅく)」といいます。はじめはメスとして成熟し、大きく成長した後にオスへと性転換するのです。
 日本魚類学会会長で神奈川県立生命の星・地球博物館主任学芸員の瀬能宏さんによると、生殖腺を組織学的に詳しく調べた研究報告はないものの、ホカケハナダイも雌性先熟型の性転換をすると考えられています。

■伊豆半島で発見、新種記載は2001年

 ダイバーが撮影した魚の生態写真を標本写真などと共に収録した「魚類写真資料データベース」(神奈川県立生命の星・地球博物館、国立科学博物館)の記録をたどると、ホカケハナダイは1998年11月以降に突如として現れ、大瀬崎や土肥で相次いで生態写真が記録されていたことが分かります。
 その当時は「正体不明のハナダイ」だったわけですが、その後、新種の魚であることが判明しました。伊豆半島の大瀬崎と伊豆海洋公園の水深5~15mで1999~2000年に採集された3個体に基づいて新種記載されたのです。日本魚類学会の英文誌「Ichthyological Research」に2001年、論文が掲載されました。
 米国の著名な魚類学者であるランドール博士(John E. Randall,1924-2020)とともにこの論文の著者となったのは、日本ダイビング界の巨星、益田一さん(1921-2005)です。
 東京で生まれ、慶応大文学部を出てプロのサックス奏者をしていたという益田さん。ダイビングを始めたのは、意外にも40歳近くになってからだそうです。益田さんは1964年、東伊豆の伊豆海洋公園にダイビングセンターを開きました。そして、水中写真のパイオニアとして活躍するとともに、魚類の分類や分布に関する研究に多大な貢献をし、『日本産魚類大図鑑』をはじめとする数多くの図鑑を出版しました。
 ホカケハナダイが突如として日本の海に現れた理由について、益田さんは論文の和文要旨で「伊豆半島から今回初めて採集されたが、従来の調査や報告に採集記録はないことから、南方海域から黒潮によって運ばれてきたものと推定される」と述べています。

■いまだ謎を秘めた魚

 今回、伊豆半島・大瀬崎に大量のホカケハナダイが現れた理由について、瀬能さんは「近年、海水温が上昇した影響で、ホカケハナダイにとって住み心地が良く、繁殖活動を行いやすくなっている可能性がある」と指摘します。ただこのホカケハナダイという魚、沖縄県や高知県、和歌山県など各地でダイバーによる生態写真が撮影されているにもかかわらず、その暮らしぶりにはまだ不明な点も多いといいます。
 「フィリピンでは成魚のオスとメスがみつかっています。でも、国内各地での出現記録は散発的。この魚の主たる生息域がどこにあるのかは、いまだにナゾのままです」と瀬能さん。
 美しい姿でダイバーに人気のホカケハナダイですが、新種記載から20年余りたった現在も、依然として神秘のベールに包まれた、ちょっとミステリアスな魚なのです。

■筆者プロフィール

科学ジャーナリストの山本智之さん

山本智之(やまもと・ともゆき)
1966年生まれ。科学ジャーナリスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。1992年朝日新聞社入社。環境省担当、宇宙、ロボット工学、医療などの取材分野を経験。1999年に水産庁の漁業調査船に乗り組み、南極海で潜水取材を実施。2007年には南米ガラパゴス諸島のルポを行うなど「海洋」をテーマに取材を続けている。朝日新聞東京本社科学医療部記者、同大阪本社科学医療部次長、朝日学生新聞社編集委員などを歴任。最新刊は『温暖化で日本の海に何が起こるのか』(講談社ブルーバックス)。ツイッターも発信中。