2022年5月 Writer: Tomoyuki Yamamoto
第15話 褐虫藻のミラクル
■「褐虫藻」がすむタコクラゲ
前回のコラム「太陽を食べる貝」では、シャコガイの体内に「褐虫藻(かっちゅうそう)」という単細胞の藻類が共生し、光合成で栄養を作り出していることについて触れました。
貝類は軟体動物ですから、「動物」の体の中に「藻類」が住んでいることになります。そう考えると、ちょっと不思議な感じがしますが、褐虫藻と共生する動物は貝類のほかにもいます。その一つが、刺胞動物のタコクラゲ(Mastigias papua)です。
タコクラゲは、温暖な海域にみられるクラゲで、成長すると傘の直径が20センチほどになります。傘の下には8本の付属器がぶら下がっていて、これをタコの腕に見立てたのが和名の由来です。私は沖縄県の漁港を訪ねたとき、タコクラゲが海面近くを漂っているのを見つけ、試しに網ですくってみたことがあります。泳ぎはゆっくりとしていて、簡単に捕獲することができました。
タコクラゲは傘にオシャレな白い水玉模様があり、観賞用としても人気があります。その体には褐色の部分があるのですが、実はこれは体内に共生する褐虫藻の色が透けて見えているのです。
■イソギンチャクやソフトコーラルにも・・・
褐虫藻は単細胞の藻類で、その直径は0.01ミリほどです。高知大学助教の小野寺健一さんは、研究のためにタコクラゲから褐虫藻を取り出しました。タコクラゲの体に少しだけ傷をつけ、出てきた褐虫藻を先の細い「ピペット」というガラス製のスポイトで1個ずつ吸い取ってはシャーレに移すという、地味で根気のいる仕事です。
「顕微鏡を覗きながらの長時間の作業。目が痛くなります」と小野寺さん。50個ほどの褐虫藻を集めてシャーレの中で1~2カ月培養し、増殖して茶色い塊になったものを、さらにフラスコで培養して数を増やします。その上で、どんな成分の物質が含まれているのかを分析します。こうした物質の研究は、医薬品の開発などにつながる「新規有用物質」の発見も目的の一つです。
褐虫藻はこのほか、刺胞動物のイワスナギンチャク類、二枚貝のカワラガイ、有孔虫のゼニイシ類などにも共生しています。小野寺さんはこれらの生物からも褐虫藻を取り出し、研究をしています。
■「動物門」を超えた幅広い共生関係
褐虫藻が共生する様々な海の生きものたち――。その具体例をいくつか挙げてみると、次の表のようになります。ウミウシやソフトコーラル、そして、カイメンにも褐虫藻が共生することが知られています。
褐虫藻と共生する生物は、さまざまな動物門にまたがっています。そして有孔虫は、分類の階級で「門」よりさらに上の「界」というレベルでも別グループです。このように、褐虫藻は実に幅広い種類の生物たちと共生関係を結んでいるのです。
■海中に出ると泳ぎ回る
かつて褐虫藻は、単一の種だと考えられていた時代もありましたが、現在はSymbiodinium属やCladocopium属、Durusdinium属など複数の属に分類されています。
褐虫藻は「渦鞭毛藻(うずべんもうそう)」の仲間です。海中では植物プランクトンとして存在し、その名の通り、2本の鞭毛を使って活発に泳ぎ回ります。ところが、シャコガイやサンゴなどの体内に共生しているときは、鞭毛はなく球形で、じっとしています。
褐虫藻は光合成をして栄養を作り出し、それを「大家さん」である共生相手の生物に渡します。その一方で、褐虫藻にとっても共生生活は、外敵に襲われにくい「安全な隠れ家」を得られるメリットがあると考えられています。
■「貧栄養」の海で生きる工夫
褐虫藻と共生する生物は、その多くが熱帯・亜熱帯の暖かい海に生息しています。そこには、ガラスのように透明で美しい海が広がっていますが、実はその海水には生き物を育むための栄養があまり多く含まれていません。
小野寺さんは「栄養の少ない海で生きていくのは大変です。藻類も動物もお互いに助け合って生きるという生存戦略をとることで、厳しい自然環境を乗り越えてきたのでしょう」と話します。
海に暮らす幅広い種類の無脊椎動物が褐虫藻と共生しているという事実は、このライフスタイルが進化の過程で得られた「成功パターン」の一つであることを示しています。そうした優れたライフスタイルだからこそ、オオシャコは世界最大の二枚貝になることができたといえるでしょう。そして、サンゴもまた、「宇宙から見えるほど巨大な構造物」として知られるグレートバリアリーフなどの巨大サンゴ礁を形成することができました。
■奇跡のバランスが崩れるとき
上の2枚のヒメシャコの写真を比べて見てください。左側の健康な個体に比べて、右側の個体は外套膜が白っぽくて元気がありません。これは、高い水温などのストレスが加わり、「白化」してしまった個体です。白化とは、海の無脊椎動物に共生する褐虫藻の数が大幅に減る現象のことを言います。
このように、褐虫藻をめぐる共生関係は、水温などの環境変化に対して意外に脆弱です。褐虫藻への依存度が高い生物ほど、白化すると「栄養失調」に陥って大きなダメージを受け、そして死んでしまいます。
白化現象によるダメージが最も心配されているのは、サンゴです。地球温暖化による海水温の上昇にともなって大規模な白化現象が頻発するようになっており、沖縄を含む世界各地のサンゴがいま、危機に瀕しています。
長い進化の歴史の中で、褐虫藻と海の無脊椎動物たちが培ってきたミラクルな共生関係――。それがいま、気候変動によって崩れつつあるのです。
■筆者プロフィール
山本智之(やまもと・ともゆき)
1966年生まれ。科学ジャーナリスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。1992年朝日新聞社入社。環境省担当、宇宙、ロボット工学、医療などの取材分野を経験。1999年に水産庁の漁業調査船に乗り組み、南極海で潜水取材を実施。2007年には南米ガラパゴス諸島のルポを行うなど「海洋」をテーマに取材を続けている。朝日新聞東京本社科学医療部記者、同大阪本社科学医療部次長などを経て2020年から朝日学生新聞社編集委員。最新刊は『温暖化で日本の海に何が起こるのか』(講談社ブルーバックス)。ツイッターも発信中。