山本智之の「海の生きもの便り」

2023年6月 Writer: Tomoyuki Yamamoto

第28話 ヤドカリの家を増築するイソギンチャク

ヤドカリの家を増築するイソギンチャク

ヒメキンカライソギンチャク=吉川晟弘・鹿児島大学特任研究員提供

■世界の注目を集めた新種

 日本の研究チームが発見した新種のイソギンチャクが今年3月、「世界の注目すべき海洋生物の新種トップ10」に選ばれました。国際的な海洋生物のデータベース「WoRMS」(World Register of Marine Species)の事務局が発表しました。
 約2000種の新種の海洋生物の中から選び抜かれ、トップ10の栄誉に輝いたイソギンチャクは「ヒメキンカライソギンチャク」(Stylobate calcifer)という種類です。東京大学大気海洋研究所特任研究員(現・鹿児島大学特任研究員)の吉川晟弘さんらの研究チームが、2022年に新種として論文に報告しました。
 このイソギンチャクは、ヤドカリが背負う巻貝の上に付着して暮らしているのですが、なんと、ヤドカリの成長に合わせて貝殻を「増築」するという、非常に珍しい‘特技’を持っているのです。

貝殻のうち黒っぽい部分は、ヒメキンカライソギンチャクが作り出した「擬貝」=吉川晟弘・鹿児島大学特任研究員提供

貝殻のうち黒っぽい部分は、ヒメキンカライソギンチャクが作り出した「擬貝」=吉川晟弘・鹿児島大学特任研究員提供

 ヒメキンカライソギンチャクは、分泌物を出すことで、貝殻を増築します。こうして追加された部分は「擬貝」といい、色合いこそ黒っぽいものの、その形状は本物の貝殻にそっくりです。このイソギンチャクが作り出す「擬貝」は、たんぱく質やキチン質、砂や泥などで構成されているそうです。
 ヒメキンカライソギンチャクの学名のうち、種小名は「calcifer」(カルシファー)。これは、宮崎駿監督のアニメーション映画『ハウルの動く城』(原作は英国の作家ダイアナ・ウィン・ジョーンズ)に登場する火の悪魔「カルシファー」にちなんだネーミングです。たしかに、水中でゆらめく触手は、燃え上がる炎のようにも見えますね。

ヒメキンカライソギンチャク。その学名は、火の悪魔「カルシファー」にちなんでつけられた=吉川晟弘・鹿児島大学特任研究員提供

ヒメキンカライソギンチャク。その学名は、火の悪魔「カルシファー」にちなんでつけられた=吉川晟弘・鹿児島大学特任研究員提供

 ヒメキンカライソギンチャクの直径は3〜4cm。房総半島から紀伊半島にかけての水深約100~400mの深海に生息し、ジンゴロウヤドカリ(Pagurodofleinia doederleini)というたった1種のヤドカリとだけ、共生関係を築きます。

■「宿探し」の苦労を軽減?

 それにしても、ヤドカリのために、わざわざイソギンチャクが貝殻を増築してあげるとは、ちょっと過保護な感じもします。この点について、研究チームの木村妙子・三重大学教授は「ヤドカリは自分の体が成長して大きくなるのにあわせて、より大きな貝殻が必要になる。しかし深海底には、磯のように貝殻がふんだんにあるわけではない。深海にすむヤドカリにとって、宿探しは大変なんです」と解説します。
 ジンゴロウヤドカリにとって、ヒメキンカライソギンチャクは、深海ならではの‘住宅難’を解消してくれる貴重な存在、というわけです。
 そして、イソギンチャクの触手には毒がありますから、ヤドカリにとっては、天敵に狙われにくくなるというメリットもあります。
 一方、イソギンチャク側にも、共生関係を結ぶことによる利点があると考えられています。生息場所となっている深海は泥底や砂泥底で、イソギンチャクが付着するのに適した硬い基質が非常に少ないからです。
 ヒメキンカライソギンチャクは、魚などを捕らえるのではなく、口を上に向けた状態で、深海底に降り注ぐマリンスノーなどの有機物を食べて暮らすと考えられています。海底の泥などに埋もれることなく、しっかりと体勢を保ってエサを食べ続ける上で、深海のヤドカリが背負う硬い殻は、とても大切な‘足場’になっているようです。
 つまり、この共生関係は、両者にとってメリットのある「相利共生」だと考えられます。木村さんは「このイソギンチャクがどうやってヤドカリの殻の上にたどり着くのか、生活史を明らかにすることが今後の研究課題になる」と指摘します。

■三重大学の練習船「勢水丸」で採集

 今回の研究に使われたヒメキンカライソギンチャクの標本は、三重大学の練習船「勢水(せいすい)丸」が2017年に行った研究航海中に採集されたものです。熊野灘沖の深海生物相を明らかにする調査の一環でした。

練習船「勢水丸」=木村妙子・三重大学教授提供

練習船「勢水丸」=木村妙子・三重大学教授提供

 実はこの「勢水丸」、これまでにも数々の新種生物の発見に貢献してきました。特に有名なものに、‘生きた化石’と呼ばれ、2012年に新種記載された軟体動物門の「セイスイガイ」(Veleropilina seisuimaruae)があります。
 軟体動物門は、「腹足綱」(サザエなど)、「二枚貝綱」(アサリなど)、「頭足綱」(イカやタコ)といった8つの「綱」に分類されるのですが、セイスイガイは、「単板綱」というとても珍しいグループに属します。そして、単板綱の貝が日本で発見されたのは、これが初めてとなる快挙でした。

■日本の海洋生物学研究、高く評価

 勢水丸による海洋生物の調査では、深海生物の新種がこれまでに10種以上も発見されています。最近の調査でも、環形動物門の「イッスンボウシウロコムシ」(Eunoe issunboushi)や節足動物門の「セイスイミノヨコエビ」(Carinocleonardopsis seisuiae)が、いずれも2021年に新種記載されました。
 ヒメキンカライソギンチャクが「新種トップ10」に選ばれたことについて、木村さんは「三重大の練習船で採集された生物が新種と分かり、さらにこうした形で世界のトップ10に選ばれてうれしい。日本の海洋生物学の研究が、高く評価されていることの証しだと思う」と話しています。

■筆者プロフィール

科学ジャーナリストの山本智之さん

山本智之(やまもと・ともゆき)
1966年生まれ。科学ジャーナリスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。1992年朝日新聞社入社。環境省担当、宇宙、ロボット工学、医療などの取材分野を経験。1999年に水産庁の漁業調査船に乗り組み、南極海で潜水取材を実施。2007年には南米ガラパゴス諸島のルポを行うなど「海洋」をテーマに取材を続けている。朝日新聞東京本社科学医療部記者、同大阪本社科学医療部次長、朝日学生新聞社編集委員などを歴任。最新刊は『温暖化で日本の海に何が起こるのか』(講談社ブルーバックス)。ツイッターも発信中。