山本智之の「海の生きもの便り」

2022年2月 Writer: Tomoyuki Yamamoto

第12話 大瀬崎に現れた「ドリー」

ナンヨウハギ=静岡県・伊豆半島の大瀬崎で、山本智之撮影

ナンヨウハギ=静岡県・伊豆半島の大瀬崎で、山本智之撮影

■目が覚めるような鮮やかさ

 伊豆半島・大瀬崎の海に2021年秋、珍しい青色の魚が現れました。米国のアニメーション映画『ファインディング・ニモ』に登場する「ドリー」。そのモデルとなった「ナンヨウハギ」です。
 『ファインディング・ニモ』が公開されたのは2003年。ドリーは主人公「ニモ」の親友という設定です。ニモは「カクレクマノミ」だとよく言われるのですが、この映画の舞台であるオーストラリアのグレートバリアリーフにカクレクマノミは分布しません。なので、ニモは本当はカクレクマノミではなく、姿がよく似たクラウンアネモネフィッシュ(Amphiprion percula)という魚のようです。
 さて、ドリーですが、2016年に『ファインディング・ドリー』という続編の映画も公開されて、その人気は不動のものとなりました。東京都内の水族館に行ったとき、ナンヨウハギが泳ぐ水槽を指さして、子どもたちが「あっ、ドリーだ!」と興奮気味に叫ぶのを見たことがあります。ナンヨウハギはサンゴ礁域に生息するニザダイ科の魚で、成魚は最大で全長が30cm以上になります。
 私は今回、冬の大瀬崎に潜り、「伊豆のドリー」に会いに行きました。まだ全長4cmほどの大きさでしたが、ボディーは鮮やかなブルーで、尾びれはレモン色――。目が覚めるような美しさです。
 ただ、近づいてよく見てみると、体の表面に細かい傷がたくさんあることに気づきました。映画の中のドリーは危険な目に遭いながらも両親を探す旅を続けるのですが、「伊豆のドリー」もまた波瀾万丈の日々を生き抜いてきたのかもしれません。
 大瀬崎のダイビングショップ「はまゆうマリンサービス」のインストラクター・西川洋子さんによると、大瀬崎の湾内に姿を現したのは2021年の9月ごろ。その後、湾内に設置された魚礁の水深10mの地点でずっと姿を見ることができました。
 ダイビング歴25年、経験本数約7000本という西川さんは、大瀬崎の海洋生物を長年ウオッチングし続けてきた一人。「大瀬崎でナンヨウハギが見られるのは、すごく珍しいこと」と話します。
 この個体は、私が訪ねた12月下旬の時点で、最初に姿を現してからすでに3カ月以上も経過していました。その後も年を越えて生き続け、1月中旬まで姿が見られました。
 大瀬崎では過去にもナンヨウハギが目撃されたケースはあるものの、すぐに姿を消しており、これほど長期間にわたって観察できるのは初めてのことだそうです。

■海水温の底上げが影響か

 ナンヨウハギのすみかとなっている大瀬崎の魚礁には、ほかにもメガネゴンベやフタスジリュウキュウスズメダイといった南方系の魚が居着いていました。この魚礁には人の手でミドリイシ類のサンゴが移植されており、こうした環境がこれらの魚にとって生息しやすい状況を生み出した可能性があります。

メガネゴンベ
フタスジリュウキュウスズメダイ

メガネゴンベ(上)とフタスジリュウキュウスズメダイ(下)=いずれも伊豆半島・大瀬崎で、山本智之撮影

 ただ、サンゴが移植されていない別の魚礁でも、サンゴ礁域の大型魚であるアザハタの若魚が隠れ住んでいる姿を目にしました。アザハタは近年、大瀬崎で複数の個体が越冬したことが確認されています。様々な種類の南方系の魚たちが生き残れるようになったのは、やはり海水温の上昇が大きな要因と考えられます。
 岸から近い湾内の水深3~5mでは、沖縄で「ぐるくん」と呼ばれる食用魚の一つであるニセタカサゴや、イッセンタカサゴ、ササムロが群れをなして泳ぎ回る姿も見られました。
 大瀬崎では、かつては冬の最低水温が13℃まで下がりましたが、近年は最低でも15℃くらいまでしか下がらなくなっています。海水温の底上げが生物に与える影響について、はまゆうマリンサービスの店長を務める相原岳弘さんは「大瀬崎にもともと多かったアカメバルなどのメバル類やカサゴの数が減った。その代わりに、ミノカサゴ、キリンミノ、ハナミノカサゴといった南方系の魚たちの姿が目立つようになった」と話します。

左上から時計回りに、カサゴ、アカメバル、ミノカサゴ、ハナミノカサゴ、キリンミノ=山本智之撮影

左上から時計回りに、カサゴ、アカメバル、ミノカサゴ、ハナミノカサゴ、キリンミノ=山本智之撮影

 伊豆半島で近年、海水温が高い傾向がみられる原因としては、地球温暖化だけでなく、長期間にわたる黒潮の大蛇行なども複合的に影響していると考えられます。
 年間を通じて多数のダイバーが訪れ、水中写真や動画などの記録が日々行われている大瀬崎は、海に起こりつつある変化をいち早くキャッチできる場所の一つといえるでしょう。私もいずれ再び大瀬崎の海に潜り、その後の変化の様子を、また自分の目で確かめてみたいと思います。

■筆者プロフィール

科学ジャーナリストの山本智之さん

山本智之(やまもと・ともゆき)
1966年生まれ。科学ジャーナリスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。1992年朝日新聞社入社。環境省担当、宇宙、ロボット工学、医療などの取材分野を経験。1999年に水産庁の漁業調査船に乗り組み、南極海で潜水取材を実施。2007年には南米ガラパゴス諸島のルポを行うなど「海洋」をテーマに取材を続けている。朝日新聞東京本社科学医療部記者、同大阪本社科学医療部次長などを経て2020年から朝日学生新聞社編集委員。最新刊は『温暖化で日本の海に何が起こるのか』(講談社ブルーバックス)。ツイッターも発信中。