2022年3月 Writer: Tomoyuki Yamamoto
第13話 ゲノム編集トラフグが登場
■フグの王様
日本の海には、フグ科の魚が約50種生息しています。その中でも、食用種として最も価値が高く、「フグの王様」と呼ばれるのがトラフグ(Takifugu rubripes)です。大きな個体は、全長80センチ近くにもなります。刺身や鍋料理、唐揚げのほか、お酒を飲む人には「ひれ酒」も人気があります。
このトラフグの新たな品種「22世紀ふぐ」を、京都大学発のバイオ企業リージョナルフィッシュが開発し、販売を始めました。一般にトラフグの養殖では、ふ化してから出荷できるまで2年余りかかります。しかし、「22世紀ふぐ」は成長のスピードが速く、1年余りで出荷できるのが特徴です。
通常のトラフグに比べて、成長のスピードは約1・9倍。このすぐれた性質を生み出したのは、「ゲノム編集」という新しい技術です。
■ノーベル賞の技術を品種改良に応用
ゲノム編集は、狙った遺伝子を効率良く変えられる新技術で、日本国内でも野菜や魚などの品種改良に応用され始めています。生物の細胞内にあるDNA(デオキシリボ核酸)の配列を人工酵素で切断する手法で、動植物の遺伝子を狙い通りに壊したり、新たに遺伝子を挿入したりできます。
従来に比べて非常に使いやすい「CRISPR/Cas9」という手法が2012年に発表されたのを機に、品種改良への応用が一気に広まりました。この手法を開発した研究者は、2020年のノーベル化学賞に選ばれています。
国に届け出された「ゲノム編集食品」の第1号は、血圧の上昇を抑えるなどの働きがあるとされる物質を通常よりも4~5倍に増やした「ゲノム編集トマト」です。東京にあるベンチャー企業サナテックシードが2020年12月に届け出し、受理されています。
ゲノム編集で品種改良したトラフグを開発した企業リージョナルフィッシュは、京都大学のキャンパス内に本社があります。ゲノム編集食品の第2号として、通常よりも平均で1・2倍肉付きが良い「22世紀鯛」というマダイの新品種を開発。それに続く第3号として生み出したのが、「22世紀ふぐ」です。
■新たな品種が短期間で誕生
魚の品種改良ではこれまで、性質の良い個体どうしを掛け合わせるなどの手法で長い年月を必要としてきました。しかし、ゲノム編集なら、狙った通りの特性をもつ新品種をごく短い期間で生み出すことができます。従来の品種に比べて、同じ量のエサでも早く大きく育てられるようになるため、人口増加にともなう世界のたんぱく質不足の解消に役立つと期待されています。
ゲノム編集を使えば、その動植物がもともと持っていなかった遺伝子を外部から導入することも技術的には可能です。しかし、これまでに国にゲノム編集食品として届け出されたトマトやマダイ、トラフグは、特定の遺伝子を壊す方法で作られたもので、外部の遺伝子は導入していません。このため、「従来の品種改良と変わらない」と判断され、いわゆる「遺伝子組み換え食品」としての審査は行われません。ただし、国に届け出る際には、人体に有害な物質やアレルギーの原因物質などが新たに作られていないかなどを、チェックすることになっています。
ゲノム編集で品種改良したマダイやトラフグは、京都府宮津市などにある養殖施設で育てられています。魚の養殖は、海にいけすを浮かべる「海面養殖」という方式で行われることが多いのですが、飼育中の魚が逃げ出して天然の魚と交雑するなど、生態系に影響を与える可能性も考えられるため、いまのところ陸上の水槽で育てる「陸上養殖」という方式に限って行っているとのことです。
■筆者プロフィール
山本智之(やまもと・ともゆき)
1966年生まれ。科学ジャーナリスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。1992年朝日新聞社入社。環境省担当、宇宙、ロボット工学、医療などの取材分野を経験。1999年に水産庁の漁業調査船に乗り組み、南極海で潜水取材を実施。2007年には南米ガラパゴス諸島のルポを行うなど「海洋」をテーマに取材を続けている。朝日新聞東京本社科学医療部記者、同大阪本社科学医療部次長などを経て2020年から朝日学生新聞社編集委員。最新刊は『温暖化で日本の海に何が起こるのか』(講談社ブルーバックス)。ツイッターも発信中。